終活

もう始めないと

志村さんの悲報を聞いて、死は他人事ではないなぁ、と思います。特に最近は。

齢60になってもうそろそろ社会から卒業しなければならない年齢になりました。今は65を過ぎても仕事を続けている方が多いですが、私が若い頃は、「もう60になったら引退だよなぁ」と思っていました。本当にこの年になると60歳ってこんな感じなんダァ、と思います。

 

とにかく、体も調子いいし頭もそれほど悪くなっていません。(もともと悪かったので)つまり今までと何も変わらないのです。昔より疲れやすくなったとかそんなこともありません。今からだんだんそうなるのか?とにかく今のところ変化を感じません。もう少し違いを感じられれば、歳を実感できるのですが幸か不幸か全く感じないのです。これは困ります。退職の理由が欲しいのです。

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しかし、最近変化してきたことがあります。それはあまり死を恐れなくなってきていることです。若い時も衝動的に死を恐れない行動を取る人がいますが、それとは明らかに違います。諦めなのでしょうか。しかしそれとも違います。なんとなく全体が見えるというか、周りを見回してみて死はそんなに恐れるものではなく、この時間の流れの中で自然の成り行きというか、うまく言えませんが言葉で表現するとそんな感じです。

 

多分、私、死ぬときはジタバタします。死にたくないと駄々をこねるかもしれません。しかし、こればっかりは避けることができないのです。いずれは受け入れなければならないことです。そうであれば死を避けるばかりではなく、逆に向き合う必要があるのかなぁ〜、なんて思うのです。しかも早い時期から死について考えた方が賢いかなぁ〜と思うのです。ちょっと哲学的ですね。多分、哲学の世界では永遠の命題なんでしょうね。

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この世界、本当に存在しているのでしょうか?私が死んだ後も。だって、この世界や宇宙が存在するのは、私の頭の中です。私、恥ずかしながら一度も宇宙へ行ったことがありません。でも私の頭の中には宇宙が存在しています。もっと身近に考えて、私ハワイに行ったことがありません。しかし、ハワイは確実に存在しています。私の頭の中に!つまり、行ったことないので、有るのか無いのか分からないのです。でも、多分あるのでしょう。問題は、私が死んだ後です。今、私の頭の中にある宇宙やハワイは、脳の中の神経細胞の相互作用によって記憶として保たれています。多分私が死ぬと神経細胞も壊れます。頭の中の宇宙もハワイもそれと同時に無くなります。私はもうそれらの存在を確証できなくなります。私が死んだ後もこの世は存在するのか?少なくとも死んでしまった私にはそれを証明する術はありません。「いや、お前が死んでも俺たち残るから全然問題ないよ!」と言うかもしれませんが、そう言っているあなたも、いずれ死ななければなりません。もっと言えば人類そのものがいなくなる可能性もあります。人類が一人も居なくなった後は、誰が宇宙やハワイを認識するのでしょうか?デカルトか!

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最近感じるのは、私が住んでいる世界は、きっちりとした具体的な世界ではなくて、上に書いた様な曖昧な混沌とした世界です。世界があって自分がいる。つまり、明確な世界があるから明確な自分が存在できると言うことです。そうすると私の住んでいる世界が曖昧だったとしたらそこにいる自分もそれほど明確な存在ではないのかな。その中で死とは、それほど明確には定義できる出来事ではないのかなぁ、なんて感じる今日この頃です。

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まあそうは言っても、私が死んだ後、残った人に迷惑をかける訳にもいかないので、有るのか無いのか分からない死後の準備を少しずつ進めている私です。お茶目ですね。